飲茶の「最強! 」のニーチェ

飲茶の「最強! 」のニーチェ

飲茶の「最強! 」のニーチェ

ニーチェ大好きで、善悪の彼岸道徳の系譜ツァラトゥストラの3つは岩波文庫と光文社のそれぞれ2セット持ってて(和訳による表現の劣化を補完するため違う訳の2冊を照らし合わせて読んだりしてた、でも光文社の訳がとても良いのでその一冊でいいと思う)、加えて世にありふれてるニーチェ解説本も随分読んだ。解説本はバラエティ豊か、いろんな方向性があって、↓みたいな本もあってこれは最悪のやつ、ニーチェ生きてたらめちゃくちゃ怒ってると思う。


『飲茶の「最強! 」のニーチェ』はその中でも飛び抜けて最高の解説本、今日読んだので4回目。他の解説本にありがちなダメなところ、例えばニーチェの名言を紹介して、これはこういう意味です、はいでは次の名言です、みたいな内容の薄さ、高校の倫理の授業ってこんな感じだったというのを思い出すような、この本を読む人生が永劫回帰するなら絶対に肯定できないな、という残念さが一切ない。

また、多分に盛り込まれている筆者流の解釈が秀逸。ニーチェの哲学の概念に「奴隷道徳」というものがある。説明すると長くなるので「すっぱいぶどう」の話だと思ってほしい。筆者の飲茶さんによると、これは現代でも「自虐」という風に形を変えて存在しているという。月80時間残業してる人が「こんなつらい残業をしていることには意味があるに違いない!泣」と悲惨な状況から目を逸らそうとするのが奴隷道徳なら、「いやー残業80時間、まじでありえねー笑」と笑い話にしてしまうのが道化道徳である、笑い話にしただけで現実的には何も解決していないという構造は奴隷道徳のそれと何ら変わり無い。現代人の多くはこの道化道徳に囚われているのではないか、という話にはハッとさせられるものがあった。こういう人はネットでよく見るし、自身にもそういう部分はあるのではないか。


こんなにニーチェ関連の本を読んできたのに、未だに「大いなる正午」にはたどり着けていない。いま、既存の価値観から完全に自由であるかというと、そんなことはない。相変わらず他人は自分の思う「当たり前」を求めてくるし、そんな状況に振り回されながら生きている。

でも、それでも、「何としても期待に応えないといけない」と思い込んでた時よりは随分マシになった。こちらから何かを求めるときも「これは自分の欲求に過ぎない、『当たり前』などでは決してない」と思えるようになった。自虐で痛みをごまかすことも随分減った。


今まで人類に贈られた贈り物の中でこれ以上の贈り物があっただろうか!


つらいことがあるたびに読むのが習慣になってる、今回で4回目だった。5回目はもっと先だといいな……